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インドデジタル政策「DPI(デジタル公共基盤)」と日系企業の活用事例

「インド市場のビジネスにおけるデジタル環境がこんなに発展しているとは知らなかった」。日本企業の対インド進出担当者から、こうした声を聞く機会が増えています。その根幹を支えているのが、DPI (Digital Public Infrastructure / デジタル公共基盤) です。

インドではすでに、決済・本人確認・データ流通のすべてが、政府主導で構築された開かれたデジタル基盤の上で動くまでになりました。この基盤は、政府の圧倒的なリーダーシップによりここ10年で農村部まで浸透しました。

本稿では、日本企業の対インド戦略にDPIがどう影響を与えるのかを、インド農村部で起きている実態とともに、最新データを交えて解説します。

なぜ日本企業の対インド戦略にDPIが大切なのか

インドでビジネスを行う場合、顧客接点・決済・本人確認・データ取得のすべてがDPI基盤上で動きます。DPIを理解しないまま戦略を立てると、以下のような機会損失が考えられます。

  • 顧客接点設計のズレ:インドの消費者は最小10ルピー(約18円)の取引でもUPIを使います。「現金/クレジットカード前提」のCXを持ち込むと、最初のタッチポイントから外れる可能性があります。
  • 本人確認(KYC)の高コスト化:Aadhaar連携のe-KYCを使えば数分・数十円で完了する手続きを、独自フローで再構築すると数日・数千円かかります。
  • 信用評価の機会損失:Account Aggregator経由でデジタル取引履歴を即時参照できるのに、それを活用しなければ、銀行口座を持たない顧客層を信用評価から取りこぼす可能性があります。

逆に、DPIを戦略に組み込めば、これまで日本企業が手の届かなかったBoP(Bottom of Pyramid)層・農村部・Tier 2/3都市の14億人市場が、初めて事業対象になります。

実際、日本発のEV(電動三輪車)メーカーテラモーターズ は、DPI基盤を活用したマイクロファイナンス事業によって、年収約20万ルピー(約36万円)層の顧客に車両を販売し、インドのEリキシャ市場、特に北東エリアで高いシェアを獲得しています(後述)。

DPIとは何か。3層構造で理解するIndia Stack

DPIは、特定の企業や政府機関が独占するシステムではなく、誰もが利用できる開かれたデジタル公共基盤です。インドでは「India Stack」と呼ばれ、以下の3層構造で設計されています。

第1層:Identity Layer(本人確認層) ― Aadhaar

12桁の固有番号と生体認証を組み合わせた国民ID制度。発行済みAadhaar数は14.4億超(2026年時点、UIDAI公式ダッシュボード)。eKYC、政府給付、銀行口座開設、SIMカード契約など、あらゆるサービスの本人確認の基盤になっています。

第2層:Payment Layer(決済層) ― UPI

NPCI(National Payments Corporation of India)が運営する即時決済システム。2026年4月の月間取引件数は223.5億件、取引総額29.03兆ルピー(約52兆円)(NPCI発表)。前年同月比で件数25%・金額21%の成長を維持しています。

IMFがUPIを「世界最大のリアルタイム決済システム」と公式認定。すでに UAE、シンガポール、ブータン、ネパール、スリランカ、フランス、モーリシャス、カタール など8か国以上で使用可能になっており、国境を越えたインフラとして拡張中です。

第3層:Data Layer(データ層) ― Account Aggregator / DigiLocker / ONDC

個人の同意のもと、銀行・税務・取引・公的書類などの分散したデータを安全に流通させる仕組み。

  • Account Aggregator (AA):利用者の同意で金融データを集約・共有。融資審査の高速化を実現。
  • DigiLocker:政府発行書類のデジタル保管・共有プラットフォーム。
  • ONDC (Open Network for Digital Commerce):開かれたeコマースネットワーク。2026年時点で出店者70万、対応都市1,200以上、累計取引1.5億件超。

この3層が連動することで、「銀行口座を持たない小さな屋台の店主が、デジタル取引履歴だけを担保に融資を受けられる」 といった、これまで不可能だった経済活動が成立するようになりました。

現場で見るDPI活用術。農村部の一人のドライバーを変えた仕組み

DPIは、インドの何を変革しているのでしょうか。弊社が制作させていただいたインド農村部に住む1人の人物の物語から、その実像を見てみましょう。

ラム・ゴパール氏 |ウッタルプラデーシュ州ラクナウ・ダラルプル村

ラクナウ近郊のダラルプル村に住むラム・ゴパール氏。かつては経済的困難と人生を一変させる事故により、家族の生活基盤を失いかけていました。担保となる資産はなく、信用履歴もなく、銀行は彼のような顧客に融資を行いませんでした。

転機は、日本発のEV3輪企業 テラモーターズ との出会い。同社が提供するEリキシャ(電動三輪車)と、独自のファイナンスプログラム「Terra Finance(以下、テラファイナンス)」を活用することで、彼は車両を取得。営業ドライバーとして収入を得始め、家族の生活を立て直し、最終的には自宅を持つまでに至りました。

こうした事例は、ラム・ゴパール氏一人にとどまりません。テラモーターズはインドの3輪EV市場の70〜80%を占めるビハール、西ベンガル、アッサム、ウッタルプラデーシュといった経済的弱者州を主戦場とし、年収約20万ルピー(約36万円)層を顧客化しています。同社は2018年に試験的なローン提供で完済率の高さを確認した後、2021年に自社ファイナンス「Terra Finance(テラファイナンス)」を本格立ち上げ、NBFC機能を内製化させ、現在も北東インドの大手ローカル企業との連携により、事業を拡大し続けています。弊社では、この一連のPRを支援させていただき、インドでは、対象州大手ブランドとの提携やディストリビューター開拓の促進、日本向けには投資家向け動画という2つの側面で貢献させていただきました。

この物語の背後で動いているDPIの仕組み

ラム・ゴパール氏が車両ローンを得て、毎日の運賃を回収し、信用履歴を蓄積していくこのプロセスの背後では、India Stackの3層が同時に稼働しています。

取引段階

利用されるDPI構成要素

車両ローン審査(本人確認)

Aadhaar e-KYC

ローン返済時の信用判定

Account Aggregator(取引履歴の即時参照)

乗客からの運賃回収(1日数十回)

UPI(QRコード決済)

運転免許・車両登録の保管

DigiLocker

従来のインドでは、ラム・ゴパール氏のような Bottom of Pyramid(BoP)層 は「担保がない」「信用履歴がない」「銀行口座がない」という理由で、形式金融から排除されてきました。DPIは、この排除構造を技術的に解体し、所得階層を問わず経済参加できる道となりました。

テラモーターズの強みは、「日本の品質管理 × DPI基盤を活用した金融設計」です。同社は車両を販売するだけでなく、自らNBFC機能を持ち、Aadhaar・UPI・AAを活用したマイクロファイナンスを設計することで、日本企業がこれまでなかなかアクセスできなかったインドの年収20万ルピー層を顧客化しました。製品と稼ぐ力、これにIoT技術を組み込み、事業のリスクを最小限に抑えることにも成功しています。

業種別インパクト

DPIの影響は、業種によって異なります。日本企業がインドで展開する主要セクターを整理します。

金融サービス(BFSI)

最も直接的にDPIの恩恵を受ける業種。Aadhaar e-KYCにより口座開設コストは数十円・数分に圧縮、Account Aggregatorで個人の金融データを同意ベースで即時参照可能。SBI、HDFC、ICICIなどの大手銀行はすでにDPIネイティブ運用 に移行済みで、後発参入する日系金融機関は同等以上のスピードでオンボーディング設計をしないと競争力を失います。

消費財・小売

UPI決済は10ルピー単位の取引にも対応するため、「現金前提」「カード前提」のPOSはすでに時代遅れ。さらにONDCの拡大により、Tier 2・3都市の小規模小売(キラナ店)が大手プラットフォームと同じ条件でデジタル流通網に参加できる構造が出現。日系FMCG各社にとって、ONDC連携は流通戦略の中核論点となっています。

製造業・B2B

GST Network、e-Way Bill、デジタル契約などのB2BインフラもすべてIndia Stackと連動。製造業日系企業がインドのサプライヤー・販売代理店と取引する際、デジタル文書交換とデジタル決済はすでに標準。FAX・印鑑・現金前提の業務設計は持ち込めません。インドのB2B取引では、GST請求書のデジタル発行、e-Way Billでの物流追跡、UPIによる即時決済が連動して動いており、紙ベースの業務はサプライチェーン全体の遅延要因になります。

加えて、テラモーターズの事例のように、製品販売とDPIネイティブなファイナンスを組み合わせることで、これまで拡大が難しかった次の中間層およそ10億人へのアクセスが可能になり、新たな顧客層を開拓する戦略が広がっています。医療機器、産業機器、建設機械など、高単価商材を扱う日系製造業にとって、購入者向けマイクロファイナンスの設計は、市場規模を桁違いに拡大する戦略オプションとなるでしょう。

ヘルスケア

ABDM(Ayushman Bharat Digital Mission) により、患者の医療記録を全国でデジタル共有する仕組みが整いつつあります。日系医療機器・製薬企業にとって、ABDM対応は今後の市場参入の前提条件なっていくでしょう。

HR・雇用

e-Shram(非組織労働者登録)、DigiLockerによる学歴・資格証明、Aadhaar連携の給与振込により、雇用管理のデジタル化が国家インフラレベルで進行。日系企業のインド子会社における人事・給与システム選定にも直結します。

グローバルトレンド、DPIは「次の国際標準」になりつつある

DPIモデルは、もはやインド国内の現象ではありません。2023年G20議長国としてのインドの提唱を契機に、世界銀行、IMF、UNDPがDPIを開発戦略の柱として採用。世界銀行は2024年、Universal DPI Frameworkとしてインド型モデルを公式に推奨し、複数の途上国向け融資プログラムにDPI構築要件を組み込んでいます。

すでに スリランカ、フィリピン、ザンビア、トーゴ、エチオピア など30か国超が、インド型DPIの導入または検討を進めています。日本政府も、日インドデジタルパートナーシップを通じて、DPI領域での協力を打ち出しています。

UPIの国際展開は8か国以上に到達。フランスでもUPI決済が可能になり、中東・東南アジアでは送金インフラとしての標準化が進行中です。在外インド人による本国送金、観光客の現地決済、越境ECの決済。これらすべてがUPIで完結する経済圏が形成されつつあります。

つまり日本企業にとって、DPIへの理解は「インド市場参入のための知識」を超えて、「グローバルサウス全体への展開戦略の前提」 のモデルとなりつつあります。インドで構築したたDPI対応力は、今後、東南アジア・中東・アフリカへの横展開資産になっていくのかもしれません。

まとめ|著者から見える現在地点

わたしは、この取り組みを、14億人を抱える多言語・多階層・多地域の国家が、デジタルを通じて民主主義と公平性を再実装する試みであると、現地の生活者として感じています。

教育や地理的要因における情報アクセシビリティの格差は、これまでインド社会の根深い課題でした。デジタル基盤はこれらを技術的に解体し、所得・地域・出自に関わらず経済参加できる公平な回路を作り出しています。ラム・ゴパール氏のような一人の生活者が信用を得て自宅を持つに至るまでのプロセスは、その縮図だと感じます。

同時にDPIは、Amazon・Google・Metaに代表される米国資本のプラットフォームによるデジタル寡占への対抗策でもあります。ONDCはeコマースの開放、DPDP Actは個人データの主権確立、Account Aggregatorは金融データの国内還流として、いずれも、個人データを国家のアセットとして守り、国民の権利を保障し、インド資本のプレーヤーに機会を開くという一貫した思想に貫かれています。

注目すべきは、その実装力です。インド政府は2016年の高額紙幣廃止(デモネタイゼーション)という強制力を伴う政策と組み合わせて、デジタル金融包摂を一気に進めました。すでにデジタル化が分散して進行した欧米・日本とは異なり、国家主導で標準を一気に揃える アプローチが取られたことで、構造の転換はわずか10年で実現しました。

日本企業にとってのインド進出戦略は、もはや「製品やサービスをどう売るか」という視点ではなくなってきました。自社のWebサイト、LinkedInアカウント、CRM、決済基盤、データ管理体制。あらゆる企業のデジタルインフラが、エンドユーザーだけでなく、政府機関、B2Bパートナー、そしてインド社会全体との接点になってきています。これらは面倒な作業というよりも、国土が広く、分断の多いこのインドという社会構造の中では、メリットとして働くことが大きく、デジタルを含めた絵で参入戦略を描く必要があるのではないでしょうか。

このデジタルインフラの上に、自社のブランドストーリーをどう乗せるかで、次の10年間、リーチできる顧客層は無限に広がっていくのではないでしょうか。

著者

STORYTELLING Co-Founder兼CSO(Chief Storytelling Officer)。国際的なローカライゼーションの分野で15年以上、デジタルコミュニケーションの分野12年以上の経験を積み、日本ブランドと海外市場をつなぐことに従事。現在は、インド・中東チームの多国籍チームとともに、日系企業の現地進出をデジタルブランディング&マーケティングを起点に支援する。

参照引用データ

※各データは、常に更新されています。最新データは以下参考データ出典にてご確認ください。

※DPDPAの導入計画は、常に更新されています。最新スケジュールは、ホームページにてご確認ください。または、法律専門機関へお問い合わせください。

UPI取引データ

補足(報道):

Aadhaar発行数

DPDP Act 2023 / DPDP Rules 2025

法律事務所による公式解釈解説(MeitY官報告示の詳細):

ONDC統計

一次出典(ONDC公式):

補足(2026年4月時点のデータを確認できる報道):

テラモーターズ事例

公式コンテンツ:

  1. IMFによるUPI / India Stack評価

一次出典(IMF公式):

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